オオチャバネセセリの不思議
                    
 
オオチャバネセセリは、1960年代までは決して珍しい種ではなく、特に松山市周辺部では低山地に広く分布していた。ところが、1970年代以降になるとなぜか大野ケ原周辺部でしか採れなくなり、1988年を最後に大野ケ原でも記録が途絶えてしまった。ところが、1993年以降は高縄半島を中心とする地域で、数は多くないものの点々と採集記録が報告されるようになった。なぜ、いったんは愛媛県から絶滅したのではないかと言われるほど記録が途絶えてしまったのに、最近になって記録が散見されるようになったのであろうか。

 1990年代以降の採集記録を見ると圧倒的に高縄半島が多く、四国山地など他地域での記録は少ない。また、大部分は標高300m程度以下の丘陵地〜低山地であり、いわゆる「里山」的環境のところが多い。

 本種は、四国での幼虫の食草さえもわかっておらず、生態面での知見がほとんどなかったが、松山市で生態観察をする機会に恵まれたので、ご紹介したい。
 観察地は、山すそにある溜め池のよく管理された土手である。2000年7月4日午後5時過ぎ、溜め池の土手に生えているアザミ類に褐色のセセリチョウが次から次へと吸蜜に訪れていた。ところがである。どうもイチモンジセセリにしては大きく見える。近づいてみるとオオチャバネセセリである。アザミの花を次々と見てまわるが、どれもこれもオオチャバネセセリなのである。もちろんイチモンジセセリもいるにはいるが、オオチャバネセセリに混じってたまに見られる程度である。




            
成虫                             生息環境


 翌7月5日の夕方、成虫があれほどいるのなら、探せば卵も見つかるのではないかと、探索してみることにした。生態図鑑で主な食草はササ類であると記されてあったので、ため池の土手に生えているササを探してみることにする。ちょうど都合のいいことに、ため池の土手は定期的に草刈りをするため、草丈が余り高くなく、探しやすい。

 それでも、初めての種を探索するのはやはりそうたやすいものではない。結局2時間かけて4卵見つけるのがやっとであった。ササ類の種類はメダケ属のコンゴウダケであった。ササはため他の土手以外にも、道端や雑木林など至る所に生えている。ところが、卵を見つけることができたのは、土手に生えている刈り込まれて背の低いササだけであった。母蝶がそういう環境に生えているササを選んでいるのかもしれない。

 

             
卵                           ふ化直後の幼虫

 
それからは、この4卵の成長過程を追跡調査することにした。朝夕に、今日はふ化しているだろうか、無事に巣を作っただろうか、と心配しながらササの葉を見てまわるのが日課となった。

 卵は薄い紅色をしており、葉表に産卵される。ふ化前になると褐色に変色する。卵期間は7日以上であった。前日の夕方見てふ化していなかったものが、翌日の朝8時前にはふ化していたことから、ふ化は夜間〜早朝にかけて行われるものと思われる。

 ふ化幼虫はすぐに葉の先端部を糸で綴って袋状の巣を造る。日中はほとんど巣の中に隠れており、外に出てきたところはほとんど見ることができなかった。幼虫は発育するにつれて数回巣を作り直す。同じ株の別の葉に移ることもあれば、別の株まで移動することもある。別の株まで移動した場合は、探すのが大変であった。たしか昨日までこの株にいたはずなのに探してもいない。そこで周辺部の株を探すが、ちょうどこの時期はからから天気が続き、ササは葉を巻いているものが結構目立つようになり、幼虫の巣のありかを見つけるのが困難になっていた。その後も経過を追っていったが、1頭、また1頭と次々といなくなり、終令幼虫まで育ったのは1頭のみであった。この幼虫も途中で行方不明となり蛹になるまでは追跡できなかった。

 

          
終齢幼虫                             蛹

 
翌年、同所で蛹を確認することができ、卵から幼虫、蛹、成虫に至るまでの全発育態を撮影することができた。